写道 syado #問答1「撮る」という行為

写道 syado #問答1「撮る」という行為

琉球弧の「アルカイックな美」を切り撮り続けている写真家の仲程長治(choji)。

その独特の視点を探る、写真という「道」に関する問答コーナー。

#問1 「撮る」という行為

仲程さんの「カメラの原体験」は、台風の時の、雨戸を締めきった家の中〜木戸の節穴から光が差し込んで像が逆さに映る様や、節穴から覗き見る世界〜だっということですが、では、「写真を撮る」=「記録する」という行為の原点は何ですか?

#答1 琉球の人の心に「適正露出」はない

僕にとって「撮る」の原点は、首里城の守礼之門。

20代の頃、この場所で「撮る仕事」を始めました。

「絶対いい写真を撮ってやる!」って、がむしゃらに仕事してましたね。

何が「いい」のかも、わからずに…ね。

改めて「撮る」ようになったのは40代後半。広告の仕事です。

50代になって、雑誌の仕事を始めた頃、ある取材で久高島の神人に言われました。

「あなたは、沖縄の美しさを記録する人です。

 それを信じて撮ってください」と。

当時はポジフィルムだったんだけど、

その時に撮影した神人の写真はアンダー (暗い) 過ぎて、

「あ~失敗した~」と反省していたんです。

でも、実は、その逆光のシルエットをとらえた一枚こそが、

自分だけの「美しさ」に目覚めた瞬間でした。

あの時、彼女を「適正」で 明るく 撮っていたら、

たぶん、まったく普通 の写真 だったと思います。

琉球の人の心に、「適正露出」はないんです。

激しく飛び交う「今」のをどうとらえるか?

そこに僕らしさ、琉球の美しさがあるのだと、

神人が大度の浜で教えてくれました。

choji

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